주일설교

[2024.03.31] イエス様の復活は私の復活にならなければなりません。

작성자
logos
작성일
2024-03-31 00:42
조회
247
■ メッセージ : イエス様の復活は私の復活にならなければなりません。
■ 聖書 : ルカの福音書 24:1-12
■ 説教 : 担任牧師 張元圭(チャン ウォンギュ)

今日、私たちは復活主日として礼拝しています。
復活は主が十字架で少し気絶して三日目に起き上がった事ではありません。
主は完全に死んで地獄まで下ってから再びよみがえた事です。
この世にこれより大きい奇跡がどこにいますでしょうか。
死んだ者を再びよみがえらせるこの能力より大きい能力がどれでしょうか。
私たちが復活した主を正しく信じれば私たちの生きる態度は必ず変わるはずです。
今まで生きて来た方向とは全く違う方向に向かって生きるしかないと思います。
それ以上自分の考えと感情、環境に縛られなくこの世が耐えられない信仰の人生を生きるようになります。
それならなぜ、多くのキリスト人たちはこのような復活の信仰で健やかに立つ事が出来ないでしょうか。
その理由を今日の本文から分かります。
安食後一日目の明朝に女たちがイエス様の遺体に香料を塗るためその墓へ行きましたが
墓は空いていてその隣でお使いがその女たちにこう言いました。
“どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。”(5-6)
と言いながら“まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。”(6)言いました。
女たちはお使いの話を聞いてすぐに過去のイエス様の言葉を思い出しました。
“人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。
彼女たちはイエスのことばを思い出した。”(ルカの福音書24:7-8)
女たちはイエス様の話を思い出して悟り、大きい興奮と感激で急いで弟子たちへ走り出しました。
それでイエス様の復活を伝えました。しかし、問題はイエス様の復活の知らせを聞いた弟子たちの反応でした。11節をご覧ください。
“この話はたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった。”

使徒たちが女たちから主の復活のお知らせを聞いたのにも関わらずなぜ、それが空しく聞こえましたか。
それは使徒たちも女たちのように主が生きていたとき彼らに仰ったその話を忘れていたからです。
イエス様が十字架で死なれる前に弟子たちへ“死んで三日目に復活する。
”との事を何回も仰いましたが、それを完全に忘れていました。御言葉が私たちの中にないし、
御言葉を覚えてその御言葉の通りに従う人生になれない時、その信仰がどれ程意味なく無気力な信仰なるのか教えるところです。
それなら私たちの信仰が無気力になった理由は何でしょうか。
信仰は神様のすべての御言葉を信じる事です。その信仰で人生を始めて信仰の道を歩む事です。
しかし、私たちの信仰をじっくり深く見ると聖書の通りではなく自分の理解と経験から始める事を分かります。
この差が復活の信仰で生きる事を妨げる障害物です。
イエス様の復活は神様の御言葉通りに成し遂げられた事件である事を信じる事です。
私の理解と経験からの信仰では主の復活が決して私の復活になられません。
もちろん復活が歴史的な事実ではないのに信じなさいと言う事ではありません。
復活は既に歴史的に起きた事件です。聖書に記載された事件中、歴史的に起きなかった事件は一つもありません。
復活の事件を信仰で受け入れ、自分の信仰として告白できないのならその復活の事件を目撃したとしても
その個人には何の意味もありません。
必ずイエス様の復活はまさに私の復活の信仰にならなければなりません。
この事実に対して聖書は私たちにこう言っています。
“主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ
、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。” (コリント人への手紙第二4:14)

“主イエスをよみがえらせた方”が何方でしょうか。神様です。それで神様が“私たちをもよみがえらせる”と言いました。
イエス様の復活がつまり私の復活になる根拠です。
それで私たちは “住イエスをよみがえらせた神様が私もよみがえらせてあなたがたと一緒に
御前に立たせてくださることを知っているからです。
”とのこの御言葉を私たちはそのまま信じることです。
この御言葉を信じてキリストの復活がまさに私の復活になる事を信じてその信仰で生きる時、
復活の能力で世を変えた弟子たちのようにその偉大な信仰の歴史を成す人生になります。
それで主の復活がまさに私の復活になった使徒パウロは私たちへこう言いました。
“しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。”(コリント人への手紙第一15:57)


■ 考えて見ましょう
* 弟子たちはなぜ、主の復活を信じられませんでしたか。私は復活の信仰の根拠がどこにありますでしょうか。
* 主の復活が私の復活として信じなければならない理由は何でしょうか。
復活の信仰で生きるとの事はどのような人生を生きる事でしょうか。


--みことばと人生が交わるロゴスライフ教会--
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